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軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

, 松本 創

によって 松本 創
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内容紹介 第41回「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」受賞! 第50回「大宅壮一ノンフィクション賞」ノミネート! 第1回「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」ノミネート! 『朝日新聞』『日本経済新聞』『北海道新聞』『河北新報』『週刊新潮』『週刊現代』『HONZ』等で書評掲載。 ★真山 仁氏推薦!★「『遺族の責務』を探し続けた男が挑む不条理闘う遺族を静かに寄り添うジャーナリストが辿り着いた日本社会の欺瞞と脆弱」 「責任追及は横に置く。一緒にやらないか」遺族と加害企業の社長。相反する立場の2人は巨大組織を変えるためにどう闘ったのか。あの事故から始まった13年間の「軌道」を描く。私は、この事故を淺野弥三一という一人の遺族の側から見つめてきた。彼の発言や行動は、これまで私が取材や報道を通して見聞きしてきた事故や災害の遺族とは何かが決定的に違っていた。淺野の視点と方法論は独特で、語る言葉は時に難解で、JR西に対する姿勢は鋭く峻烈でありながら、柔軟で融和的に見えるところもあった。(「プロローグ」より)<本書の内容&gt<乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。「組織事故」を確信した淺野は、JR西日本自身による原因究明と説明、そして、組織と安全体制の変革を求める。そのために遺族感情も責任追及も封印し、遺族と加害企業による異例の共同検証を持ち掛けた。淺野の思いに呼応し、組織改革に動いた人物がいた。事故後、子会社から呼び戻され、初の技術屋社長となった山崎正夫。3年半でトップを退くが、その孤独な闘いは、JR西日本という巨大組織を、長年の宿痾からの脱却へと向かわせた。それは、「天皇」井手正敬の独裁に依存しきった組織風土、さらには、国鉄改革の成功体験との決別だった。淺野と山崎。遺族と加害企業のトップという関係ながら、同世代の技術屋ゆえに通じ合った2人を軸に、巨大組織を変えた闘い、鉄道の安全を確立する闘いの「軌道」を描く。そこから見えてきたのは、二つの戦後史の「軌道」だった──。 内容(「BOOK」データベースより) 遺族と加害企業の社長。相反する立場の2人は巨大組織を変えるためにどう闘ったのか。あの事故から始まった13年間の「軌道」を描く。第41回本多靖春ノンフィクション賞受賞。 商品の説明をすべて表示する
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2005年に起きた福知山線脱線事故は死亡107人、重軽傷562人もの犠牲者を出した。遺族から告発されたJR西日本の歴代社長3人は無罪となった。あれほどの事故を起こしながら誰も刑事責任を負わない。当時、私は司法に対して不信感を抱いたことを覚えている。この感情はどうやら日本人に共通らしく、ある学者が本文中にも述べているが、日本人は事故が起きた時には原因追求よりも犯人探しをする傾向が強いという。江戸時代には火災が起きると失火者を河原で火あぶりにした。罰則を重くすることで火災を減らそうとしたのである。それは事故の原因や組織的背景の究明には力をいれないことを意味する。やはりJR西日本もこの大事故を「運転手のブレーキ遅れ」の個人の過失として幕引きを図ろうとしていた。しかし、それを許さない遺族がいた。妻と妹を奪われ、娘が重傷を負わされた浅野弥三一氏は、地獄のような苦しみをのりこえて、原因究明と再発防止が「遺族の社会的責務」であると考えて行動に移したのである。浅野氏は、子会社から呼び戻されて社長に就任したばかりの山崎正夫JR西日本社長に「責任追及は横に置く。組織的な原因究明と安全構築のために一緒にやろうではないか」と遺族代表、JR西日本関係者、学者の3者による委員会設立を提案した。災害復興や都市計画の専門家として常に住民側に立って活動してきた浅野氏ならではの動きであった。山崎社長の指示でつくられた三者委員会は、これまでのJR西日本の処罰主義に傾く安全管理を俎上に乗せた。ミスした個人を罰することは事故撲滅には繋がらないことを確認し、避けられないヒューマンエラーを組織やシステムでカバーする仕組みが話し合われた。委員会は5年間で27回開催され、組織事故の構造を明らかにし、ヒューマンエラー非懲戒、リスクアセスメントの充実、第三者機関による外部監査などを提言した。この提言はやがてJR西日本の安全運行の方針と組織改革に取り入れられていった。被害者と加害者が同じテーブルで再発防止を協議するのは、わが国において画期的な出来事であった。巨大組織を相手に闘った浅野氏の峻烈な生きざまに敬意を表したい。著者は、事故は戦後の日本の2つの道の交差だったと考えている。浅野氏は都市計画の専門家として、災害や公害の問題や街づくりで一貫して弱い住民の側に立って活動してきた。それが彼の生きる道であった。一方で、新自由主義の構造改革により民営化されたJR西日本は、赤字路線切り捨て、私鉄とのスピード競争=過密ダイヤ、人員削減を進め、安全よりも利益を重視する道を進んでいた。その2つの道が交わったところに福知山線事故が起きた。浅野氏が被害者となって原因究明と再発防止のために巨大組織と闘ったのは自らの道を進むためであった。事故後の13年を掘り下げたこのレポートには感嘆しかない。事故を核にして組織と人間が赤裸々に描かれていて私は熱くなって読みふけった。本書は一級のノンフィクションであるのはもちろんだが、経営学の組織論、危機管理論の絶好のテキストでもある。長く読まれるべき名著として私は推したい。

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